割り箸・ペーパーウェア・環境対応商品のシンワ

シンワホーム文字サイズ変更
HOME > 会社情報 >吉野、五條について
滾々と流れる吉野川に育まれる五條は、金剛山、吉野山に抱かれ南北朝時代より都からの交通の要衝として数々の歴史の舞台となり、現在も史跡が多く残っています。
修験の地吉野の歴史と自然の大いなる物語。
修験の地吉野の歴史と自然の大いなる物語。 自然と歴史において有名な名所のひとつ吉野山。修験道の献木の植樹から始まり、下千本から中千本、上千本、奥千本まで約1ヶ月に渡り約3万本もの桜に包まれるその景観は、古くは古今和歌集にも詠まれるなど多くの文人墨客に愛されました。また南北朝時代からの様々な歴史が刻まれた地であり、2004年には吉野山、高野山から熊野にかけての霊場と参詣道は、世界遺産に登録されました。
さらに吉野の特筆すべきは、日本三大美林のひとつ「吉野杉」。日本の林業の基礎となっているとも言えるほど歴史は古く、植林の始まりは室町時代までさかのぼります。豊臣秀吉の大阪城や伏見城をはじめとした城郭建築や神社などの用材として利用されたことから一般に大量に搬出され始めました。吉野は杉や桧に最適な低温・多湿の気候や雨量、豊かな土壌という自然環境恵まれ、年輪が狭く、色・ツヤ・香のよい良材が育ちます。そして日本が誇るその良材は、伝統的植林と造林技術の改良を繰り返し、丹精込めた人の手によってはじめて現在に続いているのです。
都と紀伊を結ぶ道は、五條に文化を集結。
都と紀伊を結ぶ道は、五條に文化を集結。吉野川下流沿いに開けた大和盆地の西南にあたる五條市。大阪の都からこの地を介し、東に向かう道を伊勢街道、西へ向かう道を紀州街道と呼ばれていました。また北の下街道をから奈良へ、金剛山地を越えて河内へ抜ける河内街道も通じていました。さらに、吉野川には三十石船や奥吉野から木材を運ぶ筏流しも見られ、吉野の良材はこの地から都へと運ばれたのです。
伊勢への街道として太古から要され、南北朝時代、戦国、そして明治維新といつの時代にも、宗教・政(まつりごと)の舞台となったこの地には、実に様々な寺社仏閣、史跡が残されその深さと様々な文化が共存しています。
まさに水陸交通の要地であった五條は、江戸時代には宿場、商業の地として発展。今でも新町通り界隈には江戸時代の景観を残す街並みが残っており、旧伊勢街道の風情と栄華をしのばせています。その中でも国の重要文化財に指定されている「栗山邸」は、建築年代のわかっているものでは日本最古の民家といわれおり、荘厳な雰囲気が漂っています。
物資や人が行き交い交わるところには、多くの文化も運ばれます。五條は、深い歴史の中で産業の発展に寄与する流通の要、歴史の分岐点ともなる舞台として、そして自然の恵みを多くの人に伝え広げる役割を担っていたといえます。
シンワトップへ
株式会社シンワ|割り箸・ペーパーウェア・環境対応商品
Copyright (C) 2009 SHINWA CO., LTD. All Rights Reserved.